人生で大切なのは、成功なのか?
それとも幸せなのか?
そもそも成功と幸せには、どんな関係性があるのか?
今日は、成功と幸せについて考えてみました。
(仕事での)成功を追い求めるべきか、(自分の)幸せを追い求めるべきか、僕はとっても悩んでます
突然ですが、成功と幸せについて考えるきっかけになったことがあります。
それは今、私が仕事で置かれている立場にあります。
私は今、40歳で係長です。
私の会社では、管理職である課長になるために、社内試験を受けることが必要条件となっています。
係長職を3年経験すれば、誰でもその課長試験を受ける資格が生まれます。
社内で尊敬する仲の良い先輩課長さんたちに会うたび、
「そろそろimacocoくん、課長試験受けないの?」
という、ありがたいような、いい迷惑のようなお言葉をかけられるようになりました。
組織で生きていく上での「成功」は、やはり出世、昇進ですよね。
でもなんか気が乗らないのです・・・
肩書きも手に入る。お給料も上がる。(当然責任も増える・・・)
・・・でも課長になること、部長になることにテンションが上がりません。
課長である自分の人生を想像したときに、「幸せ」を感じないのです。
係長の仕事に満足して、課長、部長になることを望まないことは、果たして良くないことなのでしょうか?
成功は客観的なもの。幸せは主観的なもの
ここで、成功と幸せについて、私なりの解釈について述べたいと思います。
それぞれの言葉の定義とでも言いましょうか。
成功とは、周りからの評価である
成功とは・・・
自分ではない誰かが、一定の基準に基づき”優れている”と認めること
と定義づけます。
一番わかりやすい例として、
「私は成功者だ!」
なんて自分で言ってるヤツにロクな人間はいないということです。
「あの人は成功者だ!」
そう、”自分ではない”他人が認めるからこそ、その人は成功者となるのです。
その点で、本人がいくら成功したと思っていても、周りがそう思わなければ、それはあくまでも本人の思い込みや自己満足、勘違いであって、成功とは呼べないものであると私は考えます。
幸せとは、自分で感じるものである
一方、
幸せとは・・・
周りからの評価は一切関係なく、あくまでも自分自身で”幸せ”と感じるもの
と定義づけます。
わかりやすい例として、
ひとりでいることが何よりも好きな人にとって読書は何よりも代えがたい至福の時間となりますが、みんなとわいわい戯れるのが好きな人にとっては、苦痛以外の何物でもないでしょう。
また、外向的な人にとって初対面の人と交流できる異業種交流会は刺激的で楽しい時間となりますが、内向的な人にとっては、落ち着かない、とても疲れる時間を過ごすことになるでしょう。
幸せを感じる”ポイント”や”ツボ”は人によって違っている、ということの表れです。
それが個性につながるのかもしれませんね。
成功と幸せについての極論を考えてみる
さて、成功と幸せについての違いについて整理できたところで、続いて人生について考えてみたいと思います。
「成功する人生」と「幸せな人生」についてですね。
結局のところ、我々は成功と幸せとどう付き合っていけば良いのか?ということです。
ここでわかりやすくするために、あえて「極論」で考えてみましょう。
成功したけれど、幸せじゃなかった人生って?
自分が死ぬ瞬間に、自分の人生を振り返って、どう思うか?、という極論で考えてみます。
めちゃめちゃ成功した!
めっちゃお金もある!
欲しいものは全部手に入れた!
・・・でも幸せじゃなかった。
・・・何か大切なものを忘れてきたがする。
・・・もう一回別の人生をやり直したい。
そう思いながら死ぬのってどうでしょう?
なんか嫌ですよね。
だって死ぬ時って、お金を持って死ねませんよね。
過去の成功もあの世に関係ないですよね。
今この瞬間、死ぬ瞬間にどう思って死ねるか?
それが全てですよね。
成功しなかったけれど、幸せだった人生って?
では逆に、こんな死に際どうでしょう?
全然うまくいかない人生だった。
欲しかった車も買えなかった。
出世して銀座のクラブで交際費で飲みまくることもできなかった。
結婚生活も全然思っていたのと違った。
子育てもうまくいかなかった。
・・・でも、今なんか思い出すと、あれもそれも楽しかったなぁ。
・・・結局また人生やり直すとしたら、今回とおんなじように生きるんだろうなぁ。
そう思いながら死ぬのってどうでしょう?
大切なのは、「成功」と「幸せ」というxy軸ではなく、「納得感」というz軸
ここまで書いてみて思ったんですが、人生で最も大切なことは、「成功」とか「幸せ」っていう概念ではなく、「納得感」という全く別の評価軸があるのではないかということ。
他人からどんなに成功者と崇められたとしても、本人が全く成功だと思えていないことがある一方で、他人からは全く気にかけられなくても、本人にとっては大成功なことがあります。
また、隣の芝生は青い、ということわざが示すように、人という生き物は、自分にないものを欲しがり、不満を持ち、今ここじぶんにある幸せを見逃しがちです。
成功であれ失敗であれ、幸せであれ不幸であれ、その状況、心の状態を「よし」とすることのできる「納得感」があれば、OKなんじゃないでしょうか?
これからは「納得」できる人生を送ると決めた
これまで、成功と幸せの狭間で、いろんなことを考え、悩み、行動し、生きてきましたが、これからはひとつ大きな自分軸として「納得感」というものを意識して、今後の人生を歩いて行きたいと思います。
STEP1:納得いく人生を送るためには、幸せの土台を築く
納得感にフォーカスして生きていくためには、やはり自分の人生そのものをどんな状況であれ「幸せ」だと感じられることがとても大切だと思うんですよ。
このところよく目にする「自己肯定感」とでもいうのでしょうか?
どのような状況下におかれても、楽しんでみよう、面白がってみよう、という気持ちのスタンスです。
このスタンスが「納得感」にはまず大事です。
自分の人生に納得できるように生きることができれば、きっと幸せに包まれて人生を終えることができるのではないでしょうか?
STEP2:幸せの土台の上に、成功という柱を立てる
そしてその次に、「成功」を求めていきたいと思います。
私にとっての成功というのは、すなわち「自分以外の他者への貢献」による周りからの感謝、評価です。
自分が生きることで、周りを豊かに、そして幸せにすることができれば、どれだけ素敵なことでしょう。
決して自己満足で終わるのではなく、他者満足を目指すことがこれからの私の目標でもあります。
他者を喜ばせることで、他者を満足させることで、自分も満足できる。
だからこそもっともっと他者を喜ばせたくなる、そんな人生を送りたいと思います。
課長になることよりも、日々の仕事でどう他者に貢献できるかに全力を注ぎたい
そんなわけで、最初にお話しした私のちっぽけな葛藤に話を戻すと・・・
課長になるとか部長になるとか、それってポジションのことですよね。
そんなことはどうでもいいわけですよ、もう。
大切なことは、ポジションではなく、なにをなしているのか、ということですよね。
もし、仮に私が心の底からやりたいことがあって、それがどうしても課長や部長にならないとできないことであったとしたら、きっとその時は、課長や部長になるために動くことでしょう。
でも、周りが課長や部長になるから、とか、
周りから課長になった方がいいよと言われたから、とか、
そういう理由で課長や部長になることはありません。
なぜなら、そこには圧倒的に「納得感」が足りないからです。
他者に貢献するという”目的”に対して、課長、部長になることが必須の”手段”ではないからです。
今の毎日の中で、いくらでも他者を幸せにすることが、他者を喜ばせることがまだまだたくさんあります。
そしてこうしてブログを書くことで、仕事では実現することのできないまた別の貢献が、もしかしたらできるのかもしれないと思うと、私はワクワクしてしまうのです。
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